原点は手作りケーキから

私のお菓子作りへの興味は、幼いころに母親が誕生日ケーキやおやつを作ってくれていたことから。
スポンジ生地やクリームの味見をするのが嬉しく、プリンやスイートポテトが大好きでした。 キッチンにガスオーブンや製菓道具もあり、本を見ながら自分でも作り始めるようになりました。

高校では家庭科同好会に入り、文化祭で大量のクッキーを作って販売を経験。
大学ではチアリーディング部に所属、文化祭では部員みんなでケーキやクッキーを作って販売。
アルバイト先にはお菓子の差し入れ、お友達の誕生日にはケーキをプレゼント、よくお菓子を作っていたものです。
お菓子があるとみんなに喜んでもらえる、素敵な笑顔が見られることが嬉しくて作っていた気がします。
 

ドイツ菓子との出会い

大学ではドイツ語を専攻。
英語以外の外国語を学びたいということと、日本人と似ている気質があるということでドイツに興味を持ちました。

ドイツ語を学ぶ中で、ドイツ人の先生がドイツ菓子専門店のケーキを授業に持ってきてくださり、みんなで味わったことがあります。見た目はシンプルですが、とても美味しくて感動した記憶があります。
その次にドイツ菓子に出会ったのは、大学3年生の夏。
初めて訪れたホームステイ先のドイツで、季節の果物やヨーロッパ独特の素材を使ったお菓子の魅力に心を奪われました。ぜひドイツでお菓子作りを学んでみたい、そしてそれを日本で広めたいと思うようになったのです。
しかしながら、ドイツにはお菓子作りだけを学ぶような製菓学校はありません。
「デュアルシステム」という職業訓練システムを受けながら学んでいくのです。
見習い生としてお菓子屋で週3〜4日実地訓練をし、週に1〜2日は職業学校で勉強します。
3年間訓練を重ね実技試験と筆記試験を受けて、菓子職人になるというものです。
(これは製菓に限らず、製パンや美容師、販売など他の職業もあります)

ドイツ菓子を学んでみたいという私に「趣味とプロは違う」と当初、大学の恩師である大串紀代子先生は心配のご様子でした。
その後、何度も相談に乗っていただき、最終的には私の気持ちを分かってくださり、背中を押してくださいました。 まずは自分でドイツの商工会議所への手紙を出すことから始め、お店探しなどをバックアップしてくださいました。
当時、先生に「趣味とプロは違う」とご指摘いただいたことで、自分のドイツ菓子への熱意を再認識しプロへの覚悟ができたと感じています。
1年間の期限付きで「実習生」として受け入れていくださるお店が見つかったものの、ドイツは失業率が高く、労働許可証を取得するのは大変でした。
卒業後、許可が下りるまで4か月待ち、8月終わりにドイツへ旅立ちました。
 

南ドイツへ

やっとたどり着いた南ドイツ・シュトゥットガルトのお菓子屋さんでの実習。
シェフや皆さんはとても優しく、夏から始まったので日は長くて明るく、毎日が新鮮、よいスタートでした。
ただ言葉の面では、南ドイツのなまりがすぐに理解できず、怒られているのではないかとよく悩んだものです。初心者の実習生なので当たり前ですが、お菓子作りをさせてもらえるまでには時間がかかりました。

ドイツの手工業は職人制度があり、見習い・職人・親方(マイスター)で構成されています。
職人の資格を手にして初めて一人前と認めてもらえるのですが、実習生は何の資格を得ることもできません。お店の都合もあり、簡単には見習いをさせてもらうことはかないません。

1年が経ち、ビザの有効期限が近付いているのにスキルはほとんど身につかず、これからどうしようと悩んでいました。
すると、別の街のパン屋で見習いをしている日本人の友人が通う職業学校の先生が、私のために新しい道を探してくださったのです。
 

職人の資格を目指して

カフェクライナーの同僚と
カフェクライナーの同僚と

1年4か月お世話になったシュトゥットガルトを去り、フランクフルト近郊のケーニヒシュタインという町のお菓子屋さんへ移ることに。
そのお店では見習いがすでに2名おり、見習いとして働くことはできませんでした。
しかし、シェフと職業学校の先生が働きかけてくれて、お店の定休日に授業がある他の州の職業学校へ通わせてもらえることになりました。実習生として週5日働き、残りの1日は聴講生としてマンハイムの職業学校へ片道2時間半かけて理論を学びに通いました。週に1度しか来ない私にも、先生や年下のクラスメイト達は優しく、わからないことを丁寧に教えてくれました。実技はお店で働くことが練習なので、毎日が授業です。
製品の品質はもちろん、上下関係に厳しいチーフ達に何度も注意されながら、まずは初歩から。
自分のやり方をすべて直されて、新たなスタートとなりました。
仕事では厳しかったけれど、交替でランチを作り、笑いの絶えない職場でした。ここでの教えは今でも私のベースとなっています。


職業学校のクラスメイトと 職業学校のクラスメイトと

学校へ通い始めて1年半後、職人の試験を受験。試験内容は、筆記と実技です。
筆記は菓子一般の理論と経済、数学、デザインの4項目。実技は10時間以内に「春」をテーマにした創作ケーキ、マジパン細工、プチフールなど10品目を作るというものでした。緊張はしましたが皆のアドバイスのおかげで無事終了。
渡独してから3年半後、念願かなって菓子職人試験資格合格証(Gesellenbrief)を取得することになります。


 

ホテルへ

職人として働くということは、実習ビザから労働ビザへの切り替えること。
外国人が生活するということは滞在許可証が必要であり、それを得るためには労働ビザが必要です。
労働ビザがおりないと帰らなければならない…。
労働ビザを取得しやすいように、またお菓子屋さんとは違うことを学んでみたいという気持ちもあって、ホテルへの就職を選ぶことに。
知人のご紹介でフランクフルトのインターコンチネンタルホテルで働かせていただくことになりました。ホテルで毎日違うデザートやケーキを作ること、自分で考えて作ることは新鮮でした。また、多国籍の仲間との出会いもあり、色々な考え、宗教、食文化を学ぶとても良い機会となりました。そして、客観的にみる日本という国、自分が日本人であることについて深く考えた時期でもありました。

インターコンチネンタルホテルベルリンの同僚と
インターコンチネンタルホテルベルリンの同僚と

お世話になっていたシェフパティシエがベルリンへ異動し、彼からクリエイティブなことをもっと学んでみたいという気持ちから、ベルリンのインターコンチネンタルホテルへ移ることに。
首都ベルリンは、戦争の跡が残りながらも新しいもの、文化、多国籍な人種が入り混じる印象的な町です。ベルリンには国の中枢を担う方たちがいらっしゃり、大きなパーティのためにパティスリーチームでアメ細工やチョコレート細工を作り、徹夜をしたことは今でも楽しい思い出です。
 

マイスター学校へ

渡独して8年、やっと私にも定住許可がおりました。
このビザがあればドイツで滞在及び就労が可能となり、学生にもなれるし、働くこともできる。
ビザのことで少し気持ちに余裕ができ、将来日本でドイツ菓子を広めるためにはどうすれば良いか(何ができるか)を考えるようになりました。元同僚たちが次々に製菓マイスターの資格を取得する姿を見て、私も目指してみようと思ったのです。

マイスター学校は州によって学費、システム、住居の家賃も異なります。
色々と悩んだ末、私は朝7時半から夕方まで集中的に学ぶハイデルベルクの半年コースを選びました。

マイスター試験は、①実技、②専門知識(原材料・菓子理論)、③経理・経営・法律、④教育学の4分野があります。どれも難しいのですが、いちばん大変だったのは③の授業です。もともと苦手な分野で、しかもドイツ語の専門用語も知りません。授業内容を聞き漏らさないように一番前の席に座り、先生の言うことをすべて書き取り、後で辞書を引きながら復習。ほとんどの先生は丁寧に教えてくれたのですが、中には質問しても教えてくれない先生もいて、悔しくて泣きながら勉強したことも…。
「私にも難しいのだから、外国人のあなたにはもっと難しいよね」とクラスメイトが解説をしてくれたり、逆に私が得意な分野は教えたり…と励ましあいながら学んだものです。

製菓マイスター試験作品 製菓マイスター試験作品

同時に実技試験の準備も行っていきます。
実技試験は各自テーマを決めて、バウムクーヘンとアメ細工のマイスター品、その他お菓子類18品を3日間かけて作り、4日目に展示します。
必死な半年間と緊張の試験の日々を終えて、無事に「製菓」マイスターの資格(Meisterbrief)を取得しました。

卒業後、ドイツ菓子と合わせてドイツパンの知識も得たいと思い、「製パン」マイスターの資格を目指すことに。
マイスター試験の③④は他のジャンルのマイスターと共通なので試験は免除されます。
①実技、②専門知識の試験に合格するために、ベルリンのオーガニックのパン屋で研修をさせていただき、学ばせていただきました。
パンはお菓子よりも材料がシンプルな分、職人の腕が大事です。
数か月の短い期間でしたが、日々の仕事の経験と感覚の大切さ、奥深さをチーフから学ばせていただく貴重な経験となりました。

「製菓」マイスター資格取得の半年後、菓子職人を目指して通った懐かしのマンハイムの町でマイスター学校に半年通います。
実技も筆記も新しく学ぶことばかりでついていくのに必死でしたが、わからないことはとにかく質問。
良き先生とクラスメイトに恵まれて、試験に臨みました。
実技試験は2日間で行われます。各自テーマを決めて、それに合うパン12品以上、お菓子4品を作って展示します。
私は日本をテーマにしました。そして、無事に「製パン」マイスターの資格を取得することができました。

製パンマイスター試験作品
製パンマイスター試験作品

1年の期限付き実習ビザを手にドイツに渡ってから約10年、引っ越し10回、色々な地でたくさんの経験をさせてもらいました。
ドイツで出会った大切な友人たちは、ときに家族のような存在でもありました。遠く離れていても、今も私の心の支えです。

 

日本で

マンハイムでパンのマイスター学校に通っていたころ、日本でドイツ菓子の魅力を知ってもらうにはどうしたら良いのかを考えるようになりました。そのころ、(一社)日本パン技術研究所の所長にお会いする機会があり、そのときのご縁で、研究所で働かせていただくことになったのです。

ドイツでしか働いたことのない自分が、果たして日本で働けるのだろうかという不安のまま訪れた初日、先生方と職員の皆様に温かい笑顔で迎えてもらえたことは今でも鮮明に覚えています。職場では、多くの方にドイツ菓子・パンを知っていただける機会を作っていただきました。
一番悩んだことは、ドイツと原材料や環境が違う中でドイツ菓子・パンを作ることの難しさです。
同じものはできませんし、日本人の好みに合うとも限りません…。
しかし、悩むたびに先生方に技術・知識のアドバイスを頂けたことで、日本人に親しんでもらえるドイツ菓子に作り変えていくことができたと思っています。

「もっと多くの方にドイツ菓子の魅力を知ってもらいたい」との思いで10年間お世話になった研究所を卒業。先生方や研究生と共に過ごした大切な日々は私のかけがえのない宝であり、パン業界の皆さまと出会えたことは感謝でしかありません。
 

N(えん)オープン

「ドイツで出会った美味しくて笑顔になれるお菓子を広めたい」
そんな思いでNのオンラインショップを始めることに。

皆さんにドイツ菓子に親しんでもらいたいという私の願いからです。
そして、いずれはお菓子教室をできたら嬉しいなと思っています。手作りには温かさがあります。ご自分のお菓子で誰かを笑顔にできたら、それはとっても素敵なことだと思うのです。
 

ご縁を大切に

ドイツでお菓子を学んでくると決めた日から私を応援してくれて、一緒に笑ったり、喜んだり、泣いてくれたり、怒ってくれたり、アドバイスしてくれたり、いつも助けてくれるかけがえのない家族や大切な人たちとのご縁のおかげで「N(えん)」に辿り着くことができました。
N吉 NのイメージキャラクターN吉

Nのイラストやホームページのデザインは、アトリエマリリさんのものです。
彼女との出会いは学生時代に通った都内のドイツ語教室。
美大に通う彼女のイラストが好きで「いつか私がお店を開いたら、可愛い名刺を作ってくださいね!」とお願いしていたこと。
20年前の約束を実現できる日がくるなんて…。

出会ったすべてのご縁に感謝して
これからもNストーリーが続いていきますように…